美しいとはつまり、ありのまま。

 

“美しい”とは何なのかを考えた結果、それは目を凝らして見つけたり、知識で理解したりするものではなく、むしろその存在を受け入れる感覚に近いと思うようになった。

「優れた詩人が、美を歌ったことはない。それは描くものではなく、歌ひ得るものでもない。美とは、それを観た者の発見である。創作である。」という青山二郎の言葉は深く心に刺さっている。

考え方によってはこの世の事象や物事は全て“ありのまま”の姿なのかもしれない。川の水の流れで岸が削られ淀みができるように、偶然の原因が形を決めている。人間が生み出すモノは意図があるように思えるが、大局的に見るとそれは偶然から生まれた環境に起因しているのではないか。

話が飛躍したが、“美しい”には確固たる基準や条件があるのではなく、何かを見たり聞いたり感じたりしたときに、それを美しいと受け入れるかどうかであり、そこに優劣の差は存在しない。それは極めて主観的な判断だと思っている。ただ、その主観的な判断こそ、個性であり感受性である。

感受性とは辞書に「外界からの刺激を深く感じ取り、心に受け止める能力」とある。私個人にとって写真とは、その感受性という能力の更新であり、それはありのままの存在を受け入れた瞬間の記録である。